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ポーランド食器、陶器の歴史はポーランド、ボレスワビエツの町の歴史をたどっていくことになります。
Boleslawiec(ボレスワビエツ)の町は、ポーランドの南西シレジア地方に位置し、町が設立されたのは1251年となります。良質の陶土が採掘されることで陶工たちが集まり、1951年には、陶工たちは初めてのギルドをつくりました。当時、この地方はドイツに属し1945年第2次世界大戦終結まで「Bunzlau」ブンツラウと呼ばれていました。その名前の由来からポーランド食器はブンツラウ食器とも呼ばれています。この頃の製造は、屋根瓦や土管、サニタリー陶器が中心でした。
18世紀中頃、茶色地に白い飾り模様をつける陶器が流行しました。この白い飾り模様は、焼くことで白く変化する特別な粘土を使用しており、紋章や花のモチーフで飾られました。一番古いサンプルは、1749年に作られた壷がボレスワビエツにある陶器博物館に保管されています。
1897年に陶器専門学校が設立され、初代校長にベルリン出身のDr.Wilhelm Pukallが付き、製造工程やデザインに大きな影響を与えました。生徒たちは主に陶工たちの息子達が中心で、彼らが技術を習得した後は地元で工房を構えて陶器製造は発展していくことになります。また、熟練した陶工の代表であったJulius Paul,Hugo Reinhold,Carl Wernerの三人によって、現在私たちが手にすることができる、スポンジをカットして一つひとつスタンプしていく手法や釉薬の研究、カラフルな色彩が取り入れられるようになり、皆様お馴染みの「ピーコックアイ」を「シレジアンブルー(藍色」)でスタンプしていくデザインやドット、花、うろこ柄がもちいられるようになりました。
第二次大戦でボレスワビエツの町も大半が破壊され、それに伴ってドイツ人もポーランドを去っていくことになります。1945年、町はポーランドに返還され、CPLiA(*)やWroclauの芸術大学の援助により陶器製造は再開されることになります。
今日、欧州、アメリカのみならず、日本を含めアジア各国にも輸出され、手作りによる暖かさ、電子レンジ、オーブン、食洗機にも対応できる丈夫さ、機能性が人気の、世界中の人々に愛される食器となっています。
* CPLiA(Centrala Przemystu Ludowego i Artystycznego) フォークアート産業の頭文字 1949年から1990年代の社会主義政権下、壊滅状態にあった産業を再生させるための民族芸術産業関連会社、小売業と中央政府との協同組合
参考文献:「Boleslawiec Town of Ceramics」、著者:Katarzyna Zak